2005年03月17日

電 車 女  Vol.2

★真面目なのも、ほどほどに? (日比谷線にて)
電車の長シートは7人掛けられるようにと、3:4の境目に切れ目があるものがある。
見ていると、まず左右の端が埋まって、3番目にはその境目に座る人が多い。
そして空いた所にそれぞれ座ると余程体格のいい人が座らない限り、
ちゃんと7人掛けられる仕組みになっている。

ある時、その3人掛けた側に体格のいい人が重なり、4人スペースの方にまだ
余裕があったのを見たおばさんが、4人スペースの方の「境目」に座っている
男性に声を掛けた。
「もうちょっとそっちに詰めてください」
すると、眼鏡を掛け、本を読んでいた神経質そうな男性は

「いえ。僕の位置はここで間違いありません。そっちで調整してください」

と言い、頑として動かなかった。
まさかそんな返答をされるとは思わなかっただろうおばさんは「ぽか〜ん」とし、
座っていた他の人たちも 呆気に取られていた。
男性は「当然」といった面持ちで、また本を読み始めた。

確かに、彼の言っている事は正しいのかもしれない。
長くもない脚を大きく開いて偉そうに座っているオッサンに比べたら、
このイスの切れ目の主旨を理解し、全うするだけ余程まともだ。
けれど、それは「詰めろ」と言われた4人スペースの方に、 まだ人が座っていない
場合に言える事だろう。自分が詰める事によって、最終的に7人座れなくなって
しまうのがまずいから・・・という考えならば。
しかし、
このイスには既に7人掛けていたので、男性が少しずれた所で何ら問題はなかったのだ。
(「僕の位置」「間違いない」っつて・・・^^;)
電車の中で、知らない人同士の会話を聞くことなどとんとなかったので、
ある意味凄く新鮮だったけれど(笑)。


★色気あります。男気もあります。(同じく日比谷線)
飲んだ帰り、その7人シートに偶然女性ばかり7人座っていた時、私の前に立っていた
おぢさんが
「ちょっと詰めて」
と言って来た。
私は驚いて左右を見回し、なんとか少し左に詰めたが、どう詰めてもそのビール腹の
おぢが座れるほどのスペースは作れそうになかった。
が、おぢは、女性の片足が入るかどうか程度の隙間に無理矢理座ってきた。
当然私と、その隣にいた女性に半分ずつ座った状態になっている(´-ω-`)。
(ちょっと、カンベンしてよ!!)
と、内心思って立とうとした時だった。

「オジさんさぁ〜」

声の主は、おぢの隣に立っていた、茶髪で付けまつげバリバリ、ヘソ出しの
イマドキのオネエちゃんだった。
「ここさぁ〜、7人掛けなんだよね〜?もう7人座ってんじゃん?ムリだって。
かわいそうじゃん」
と言い、「このシートは7人掛けです」という窓枠横のプレートをダルそ〜に指していた。
するとおぢは
「をを、そうかぁ!」
と、さも今気付いたかのよーに(本当かよ?)白々しく笑って立ち上がった。
思わず彼女が天使に見えた私は、尊敬の眼差しで見詰めてしまった。
彼女は別段特別なコトをしてあげたとの様子もなく、しれっとしていた。

目の前のヘソも眩しい、実にイケてる彼女だった。

posted by Cimbombom at 23:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 電 車 女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月09日

生きるということ

数年前手術をして、病院で知り合った人(男性)がいる。
彼は私より少し年下だけれど、穏やかで優しく、人間的にとても素晴らしい人だ。

彼の病は良性の脳腫瘍だったが、半年から1〜2年の割合で再発を繰り返すという
ものだった。悪性ではないので、どこかに転移するとか、直接死に至るものでは
なかったけれど、そのまま放置すれば、脳圧が上がって脳ヘルニアに至って
死亡したり、視神経を圧迫して視力を失ってしまう。
出会ったとき、彼は既に開頭手術を3回していて、ガンマナイフと呼ばれる
放射線治療も2回、鼻を経由して脳内をオペするというものも2回経験していた。

勿論、会社勤めも出来ないし、ホルモンの崩れや、大量の薬との戦いの日々。
そして何より、
「一体いつになったらこの手術地獄から抜けられるのだろう?」
という思い。
ちょっと想像してみて欲しい。
半年や1〜2年のスパンで、全身麻酔をかけて、頭の中を手術されること。
それがほぼ死ぬまで繰り返されるかもしれない恐怖を。
否、想像出来ないし、したくもないというのが本音だろう。

この病は、発病・進行のメカニズムは未だに解明されておらず、
本人の努力ではどうにもならないものだ。
現在の医学では、
「大きくなったら取る」
それしか道はなかった。

私自身は、身体にメスを入れてから「やっと昔の調子に戻れたな」と思えるには、
約3年かかった。
彼には回復する間もなく、すぐ次のオペが待っていた。
人間、3回開頭手術をすると、殆ど嗅覚を失ってしまうのだそうだ。

「僕もね、この病になって『なんで自分ばっかりこんな目に遭わなくちゃ
いけないんだろう?』って、最初は思ってたんです。先生にも見放されて、
生まれて来なきゃ良かったって(笑)。でも、病院で知り合った悪性の
脳腫瘍の人にね
『でもいいじゃないか。君はそれでも生きれるんだもの。
俺は生きたくたって生きれない。何十回手術したって、叶わないんだ。
そういう人もいるってことを、忘れないで』って、言われて。
今でもその言葉が忘れられない。彼には悪いけど・・・それよりは
僕は恵まれてるって思って、考え直したんですよ。
本当に・・・凄くいい人だった。
彼の為にも頑張らなくちゃ恥ずかしいなって・・・」

きっと、その亡くなった方は彼を励ますつもりで、敢えてそんな言い方をして
下さったのではないかと思う。

決して、自虐的ではなく、不幸を押し出すのでもなく、淡々と話す彼。
自分が過酷な運命を歩んでいるからこそ、他人に優しく接する事が出来る彼に
(これは、実はとても難しい事)、私は何度励まされた事だろう。
そして、神様はなんて残酷なのだろうと。

確かに、生かされている事は、恵まれているのかもしれない。
けれど彼を見る限り、心身ともに痛めつけられるがための生・・・と思わざるを
えないような人生が、果たして「恵まれている」と言い切れるのかどうか、
私には自信がなかった。
健康でいられないという事は、健常者が思っているよりも遥かに多くのものを
奪って行くものだからだ。

そんな彼と久し振りに話した。
暫く調子がいいと喜んでいたので安心していたのだが、今年に入って既に1度手術し、
予後が悪く、また決断を迫られているのだそうだ。

今まで弱音を吐いた事のない彼が、ぼそっと言った。

「何の為に生きてるのか解らなくなる事ってないですか?」

「ありますよ?でも、何か理由があって皆、生かされているんだと思います」

「そうですよね」

「何であれ、生きてることに意義があるんだと思います。生きなきゃ
 いけないんだと思いますよ?」

「そうか・・・」

「昔、親に教えてもらった言葉があります。『人生は楽しいものだと思うから、
 (困難があった時)辛くなる。辛いのが人生だと思えば、僅かなことでも
 幸せに思えるもの』って。なので、辛い事があった時、私は
 そう思うようにしています」

・・・・勿論、彼が「人生が楽しいもの」などと、思ってはいないことは明白だった。
どんな言葉を吐いた所で、陳腐な慰みにもならないことも。
けれど、言わずにはいられなかった。
じゃないと、彼という蝋燭の炎が、あまりにも消えてしまいそうだったから・・・。

「そうだね。ありがとう」

「○○さんは、そこにいるだけで、周りの人を癒していると思いますよ?
 私も、随分○○さんのお陰で癒されました。ありがとう」

言葉面ではなく、その裏にある気持ちを酌んでくれる人。
決して逃げずに、投げずに、諦めではなく、悟り、受け入れ・・・。

彼の明日が、少しでも平穏なものでありますように。

posted by Cimbombom at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | つぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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